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プロフィール

私ってこんな人

 

 

北川 貴久(きたがわ たく)

一級建築士、宅地建物取引士、福祉住環境コーディネーター2級

出身は東大阪市の布施、ばあちゃんも、父も母も嫁も小中学校の先輩。
子供は刀が大好きな息子が一人います。

1985年5月19日生まれ
おうし座・丑年のB型
性格は、心配性。目的を決めたら突き進む。そうなれば多分頑固。
趣味は、スキー、バスケ、レゲエ鑑賞、建築見学を兼ねた旅行、風呂屋。
苦手なものは、口だけの奴。ピーマン。
好きな言葉/未来のために、Next Level、あれこれ言う前にまず行動

 

 

建築を始めたきっかけ

父親が建売住宅業をおこなっていました。

小さい時から現場に連れて行ってもらったり、家でプランを描いている姿を見て、知らぬ間に

一級建築士になって「住宅」を設計すると決めていた。

 

建築業界で働き始めた頃

私は大阪工業技術専門学校を卒業後、堺市にある一級建築士事務所で働き始めました。

その頃は、耐震偽装事件が起きた後で設計審査が見直され混乱しているような世の中でした。

住宅以外にも色々なものの設計がしたくて設計事務所に就職しました。

 

 

小中規模の設計を手掛ける設計事務所でたくさんの事を勉強させていただきました。

設計事務所では、スーパーマーケットや保育園、幼稚園、老人ホーム、公共の耐震補強設計、

小中学校・市営住宅の定期調査、そしてたまに住宅の設計をしていました。

今では描くことは無い鉄骨造の図面を数百枚の構造計算書より作図などしていました。

 

そして、一級建築士になる為に退社。

 

しかし、試験に落ちた為、二級建築士で設計事務所を設立。

独立設計事務所時代は、勤めていた設計事務所の下請けや家業の設計業務などをおこなっていました。

 

アティックワークスの設立

設計事務所の設立2年後、新築工事やリフォームをおこなう

一級建築士事務所としてアティックワークス株式会社と改める。

しかし気づけば設計事務所ではなく工務店になっていた。笑

設計事務所として動いていた為、設計業務を受けていました。
いろいろな設計ができることを活かした業務をと考えていました。

しかし、自分がしたいのは木造の家づくりであった為、

新築木造住宅の設計施工と住宅リフォーム専門に変更。

それ以来、中学校区プラスαの地域をメインにリフォーム。

そして緊急事態でも駆けつけれる地域までをベースとし、

新築木造住宅を設計施工中。

 

東日本大震災と息子、そしてじいちゃん

設計事務所に勤めていたある日、誰もの記憶にある未曾有の大震災、3.11の地震が発生しました。

津波にのみ込まれる街。メルトダウンした福島第二原発の状況は衝撃的でした。

二年後、設計事務所を退所しました。

その翌日、車に乗り込み、丸二年たった東北を目指しました。

建築をやる上で私は、現地を自分の目で見ておかなくてはならないと感じていたからです。

そして、福島第二原発の辺りで目にした光景は異様で3.11より時が止まったままの街、

人は警察か防護服を着た人、除染作業のトラックのみでした。

被災地はこれから復興すると感じましたが、原発辺りは復興出来る気がしなかったのです。

私は、原発をもう使わない方がいいと心から思いました。

この先、震災大国の日本でまたあのような原発事故が起こらないとは限らないのです。

 

私には息子がいます。

今起きている温暖化などの異常気象はこのままだと悪化を辿ります。

今までは自分の事しか考えていなかったが、子供が生まれてからは、

未来の子供達のことも考えなければならないと思うようになりました。

 

子供や孫に良い環境を残したい。

 

親世代が環境問題にちゃんと目を向けなかったから悪環境になったと言われないように。

そして、元気だったじいちゃんがいました。

よく息子を連れて遊びに行きました。

ある冷えた日の夜。いつものようにお風呂に入ったそうです。

しかし、お風呂から出てくることはありませんでした。

 

次の日の朝、訃報の連絡を受けました。急過ぎて、どこのじいちゃんが亡くなったのか理解が出来ませんでした。

よく聞く「ヒートショック」ってやつです。

仕事柄、恐れてはいましたが、それが現実となってしまいました。

急なことなので最後に会うことが出来ませんでした。

 

私の思い

3.11の地震や被災地に訪れたこと。息子が生まれ未来のことを考えるようになったこと。

そして、家で急死してしまったじいちゃんのこと。

 

こんな経験をして、自分に出来ることは何か、考えました。

 

私の仕事は家づくりです。私一人がなんぼ頑張ってもかわりませんが、家づくりで未来は変えれるんではないかと思いました。

地震に負けない家づくり、エネルギーで原発に頼らなくてもよい家づくり、持続可能な家づくり、

ヒートショックの起こらない家づくり。

これは、私のただの願望です。

しかし、家づくりをさせていただくお客様にとっても悪い事は何一つないと思っています。

自分の願望を貫いた上で、お客様にとって最高のお家づくりをお手伝いできるようにと全力で取り組んでいます。

 

経歴

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1985年5月 大阪府東大阪市に生まれる
2001年4月 大阪学院大学高等学校 国際情報学科入学
2004年4月 大阪工業技術専門学校 建築総合学科入学
2008年4月 堺市の一級建築士事務所に入所
2013年3月 一級建築士事務所を退所
2013年3月 東日本大震災の跡をめぐる旅&建築一人旅を決行
2013年7月 ニートになり勉強したが、一級建築士試験に落ちる
2013年11月 仕方なく二級建築士事務所ヤードデザインを設立
2014年12月 一級建築士になる
2015年4月 母校、大阪工業技術専門学校で非常勤講師になる(現在も)
2016年2月 一級建築士事務所ヤードデザインを廃業
2016年2月 一級建築士事務所で工務店のアティックワークス株式会社を設立
2017年4月 SNSにより世界が広がり、全国にたくさんの仲間ができる
2018年2月 新築木造住宅・住宅リフォーム専門になる
2020年4月 メールマガジン「本当のお家づくり」を始める
2021年2月 パッシブハウス・ジャパン近畿支部サブリーダーになる ~2023年1月
2023年7月 日本エコハウス大賞2023で、協賛企業賞のネオマフォーム賞を受賞